筆頭,寺院,大安寺大官大寺伽藍,大安寺 高市大寺から大官大寺へ − 略史2
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大官大寺塔跡の石標  時は巡り、皇位継承問題に端を発し、国内を二分しての争乱となった壬申の乱に勝利した天武天皇は、即位後まもなく同天皇二年(673年)には「高市大寺」の造営にとりかかります。

 高市大寺は、百済大寺を新たに高市の地へ移し建てたものでした。高市は今日の明日香村が高市郡です。しかし移建された高市大寺がどこであったかという問題も諸説があり、今後の研究課題となっています。

 天武天皇はさらに、同天皇六年(677年)に高市大寺を大官大寺と改めました。「大寺」とは私寺に対する官寺を意味しています。また、「おおつかさのおおてら」と訓じられ、大官=おおつかさとは天皇をさす言葉でもあります。すなわち天皇自らの寺として、国の安泰と人心の安寧を祈る公の寺という意味でもあり、また全僧尼を統制する僧綱所でもありました。

 大官大寺は川原寺、飛鳥寺の三大官寺の首座として重きをなしますが、伽藍の完成には至らなかったようで「大安寺資財帳」には天武天皇不予の時、大寺の造営を三年延長する旨の誓いをたてたところ、天皇の寿命も三年延びたと云う記事を伝えています。

 天武天皇の崩御後、その遺志は持統天皇・文武天皇へと引き継がれます。大官大寺は再び場所を移して、現在の明日香村大字小山、香具山の南約700メートルの地に造立されました。藤原京の造営に伴い、造宮と造寺の一環であったとも考えられます。その跡は昭和49年以降の発掘調査によって巨大な金堂、講堂、塔などの遺構がしめされ、いにしえの大寺建立の気宇の壮大さが偲ばれます。ここは国の史跡に指定されています。

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南都,大安寺